蝶が僕たちをさらいに来る

 

 

何でもかんでも「許す」考えが全人類が目指すべき境地だというのは間違ってる

 

と、思う

 

 

どんな考えでもどんな行いでも、それが良くても悪くても許せるみたいなの逆に許したくない

 

別にいいよ許してくれなくても、とかそう思ってる時点で「許す」「許さない」の観念で生きてるやんほらもうって

 

許すために悪いことするのも良いってこと?

 

じゃあ「悪いことって何か」って考えた時、「自分の行いで他人に身体的心理的、経済的関わらず何かしらの損をさせること」って仮定すると、割とすんなり話が進む気がする

 

でもそうなると、「法的にアウトでも誰も迷惑してないよね?」っていう反対勢力に降参することになってしまう

 

そういう話じゃなくて、っていう言い訳はあまりにも根拠が曖昧で、こういう話の割り方をすると議論が破綻するからそれは良くない

 

という事で、じゃあどうやったらこの屁理屈野郎を屈服させられるのか?

 

考えるために一旦「物事には必ず原因や理由がある」っていうセオリーの原点に回帰してみる

 

とりあえずここでは「法律は民を守るための盾として存在する」ことを前提として考えるとして、そうするとつまりは「今ある法律は全て何かしらの権利を守っている」ってことになる

 

てことは、「法を犯す=見えない誰か(何か)に損をさせる」なわけで、この「誰か(何か)」が犯した側と同じく人間であったり、或いは組織であったり、或いは動物であったりする

 

何故かその、先に出した屁理屈野郎達は相手が自分と同じ人間一人じゃなければ自分の犯した事は誰にも実害が及んでいないと思ってる節があったりして

 

自分が被る損害に関しては、他人一人の決定であっても組織や企業の決定であっても関係なく自分の損害を主張するくせに、自分が加害する立場になった途端に組織には何処にも人格が宿っていないと考え始めたりする

 

これはあくまで第三者視点からの意見なので友人知人の悪口でも文句でもなんでもないけど、そんな御都合主義の人間に「すべてを許す」とか絶対無理やと思うし、口先だけのそれなら言わないほうがはるかにマシだと思う

 

「全然気にしてないよ〜♩」って言いながら語尾に怒りマーク付けてる女子のアレと同類

 

人間は全知全能の神じゃないので、神になれる筈もないので、絶対に無理

 

神は神だから神なわけであって、人間は人間である限り、当然死んでも神にはなれない

 

大それた理想戯言譫言を口走る前にまずは「許す」「許せない」じゃなくて「共感できる」「共感できない」の分別をして、そこからじゃあ「共感できない」から住処を分けるのか「共感できない」けど共存するのか、そのための努力の意思表示をしてそれを行動に移すのかの決断をするのが先なんじゃないかなって

 

 

「許せる」とか言いながら「許せない」って言う人のこと白い目で見るのは何なのかなあ?

 

それって「許せない」人のこと許せてないよねって

 

無感情で流すことが「許す」なんだったら死ぬまで怒り狂って「許せない!!!」って夢の中まで追いかけ回されたほうが生きてるって思えるでしょ

 

知らんけど

 

 

分かり合えなくてもいいから「でも君が死んだら悲しいかも」って思ってたいな