頑張ること、働くこと、生きることは素晴らしいと、健康診断オールパスするような人間が声高らかに曰う。この事象はおそらく殆ど宗教に近いような気がする。

 

 

生まれる時代、場所、関わる人間、全ての分岐するタイミング、そもそも生きることそれ自体さえも自己の意思の外側で決定され、決定され続け、煽動され、嬲られ、絶望と希望をうまい具合に与えられ続けて、そうしているうちに何度も何度も陽は沈み昇り、身体は衰え精神は穏やかに衰弱していく。

 

 

結局のところ、完全なる自由意思によって決定出来る物事なんてこの世に一つもないんじゃないかと思う。

 

 

社会性という皮を被って、道徳という檻の中で、純粋な欲望と社会的責務、化け物二体が食い殺し合う真中で骨になるまで振り回されるしかないんじゃないのかと思うし、仮に生き延びられたとして、この化け物共の決着が着いてしまった時に残ったその物体を私と呼べるのか、全くもって自信がない。

 

 

生きたくないという願いが成就することを熱望する反面、生きることを許されたいと願う自分がいることもまた完全に事実であって、今みたいな気持ちになると正直なところ寝ても覚めてもその事ばかりが頭の中にあるというほどに、私の願望の少なくない領域を占めている。

 

 

自分で自分を許す事が出来ないことに十代で気付き、二十代で確信し、諦めた。私は一生自分の存在を許せないし、誰かに望まれない限りきっとこのまま、毎日毎日ケロイドまみれの心臓を、自分自身で握り嬲り続けるだけの、余生である。

 

 

「若いね」ではない、私はもうすでに人生を殆ど終えている。

 

 

不安と恐怖に殺される前に自死を選びたい。