せいしゅん

 

 

私と一緒にいた事なんて頭の端にも無くて、無垢なままで、4年をすっ飛ばしたかのように、彼等彼女等はきっと今頃

 

 

あー

切ないなー

忘れんなよなー

 

 

人の頭は考え続けないと衰えるよね、筋肉みたいにね

 

 

無駄だったのかなあ、と思う時もあるけど、無駄だったと思うとなんか私が報われないような気がして

 

 

誰の中にも残らなかったとして、じゃあ自分さえも自分を否定してしまったらもう果たして私は死ぬ瞬間まで他人に存在意義の証明を擦りつけるのか?て感じで

 

 

自己肯定感高い人を見ると何故か非難したがる人は多いし

 

 

自分を認めるために他人を引き摺り下ろすのは良くないと思うけど

 

 

少なくとも他者に責任転嫁して楽して生きるよりよっぽど、ナルシストの方がいいんじゃないのかなって

 

 

 

自治って大事、自治は権利

 

 

 

この前、中学生の頃に書いてたブログを見つけた

 

今より随分と成績が優秀だった頃に綴った文字の筈なのに、これは本当に過去に私が書いたものなのか?と疑う程に頭の悪そうなやつが書いたような文字がそこに羅列されていた

 

 

 

頭の悪いギャルは滅亡しろ

 

 

 

いいにおい

 

 

八分音符を押さえ続けて、四つ打ちを耳に刺して、妹が作ってくれたごはん食べて、猫を撫でて、お皿を洗って部屋を掃除して、気づいたら時間が過ぎてた

 

 

‪時間に対するやる気・生気の割合が低すぎて、このギャップをアルコールでしか埋められなかった‬

 

 

数日前から頭の中に居座り続ける違和感を見て見ぬふりしながら、今日が何曜日なのかも分からずただただ感情の赴くままに身体を動かしていて、もしこのまま1分後に死んだとしても私が私のそれに気づくのは週明けぐらいになるんじゃないかと思うぐらい

 

 

もうなるべく苦しまずに…とか、痛すぎるのとかは…とか我儘言わないので、早くこのぬるい地獄から出してほしいなあ

 

 

先を見る事に対しての恐怖と興味が生きるモチベーションを凌駕しすぎて、そんな矛盾の中で私は別の何かになろうとしてるのかもしれないけど、ここまで根が張ったものを急に植え替えるのは無理だと感じた

 

 

今のままで、何かを増やして、増やして増やし続けて変化し続けて、身体が消えても意思だけで変化を続けて、メンタル、そうしていかないとなんか色々と無理な気がする

 

 

 

と、ここで私は気付いてしまったのである

 

 

 

 

 

 

「人生とは、サグラダ・ファミリアなのでは?」と

 

 

 

半値で買いた

 

 

COVID-19のせいで海の向こうに行く予定が滅失した

 

 

もう半期課金して時間は1年用意して、やっと向いた私の気を逸らしたCOVID-19、許せない

 

 

でももう終わったことはどうでもよい

 

 

ね、

 

 

漫画、読んでたら全部どうでも良くなって原点に帰った

 

 

 

けど正直読んでる時間には意義があるけど行為自体には特に何も無いと思うてしまうな、本までも

 

連載中の作品読んでる時は最新話読み終えた瞬間にもの凄い虚無感に襲われて余りの意味の無さに意識がぼやけるぐらいどうでも良い

 

けどまた新しいの読んでしまうし、人生がこんなものの連続だとおもうと些かくだらんなと思う

 

 

 

愛ゆえにとか言いながら叱る大人と愛情の裏返しとか言いながらねじ曲がった感情押し付けてくる人間の気持ち並みにくだらん

 

 

くだらんと思いながら、ただ理解できないだけの自分の素直さの低さ弱さ薄さを再確認してあれま〜と第三者的な気持ちになる

 

 

好き嫌い嬉しい悲しい伝える分には99%の機会で余りにも素直なくせに受け取る能力が余りにも低い時があって人間すぎて笑ってしまう

 

 

 

欠陥、まで、明るい時間ぐらいは許せたらいいな

 

f:id:yoa04x:20200329044503j:image

 

 

 

 

円周率

 

 

世が腐ってる

 

 

やりたいこと、なりたいもの、したいこと、全部その先に見える汚いものが怖くてただただ時間の濁流にのまれて流されて何処までも漂う事しか出来ない

 

 

 

何処にも居ない何者でもないままでいいやと思う

 

 

完璧に綺麗な世界がないから創るしかない、けど、そんなに強くないし、弱いから、黙って隠れて観てる

 

 

傍観者

 

 

自分の傍観者

 

 

世と世の狭間で隠れてじっとしてるだけの人間でいることしかできないし

 

 

まあ、それぐらい仕方ないよねって諦められるような程よいバランスのとれた、生き方が 遠くでピカピカしてやがるぜ〜

 

 

歯車

 

 

錆びても汚れても欠けても絶対にサイクルを止めないようにそこにあって、意志を捨てて、動き続けられたらいいのに

 

 

それでいいのになあ

 

 

かなしいなあってずっと言ってたいな

4:56

 

 

無理だ無理だ

 

 

 平和が好き愛が好き愛で溢れた平和が大好きでも幸せな未来の妄想とか安定した将来の想像とか出来ない私には少し曇った空とかカラッとした風で飛ばされてくる紅葉とか鴉の鳴き声とかヒグラシの鳴き声とかチリンチリンの風鈴とか真っ赤でまん丸の満月とか泣いてる人とかそういうのしか想像できないみんながみんな幸せな世界なんて存在しない誰かが笑ってるとき誰かはきっとどっかで泣いてるし表には必ず裏があるしだから私はずっと裏のまま表でいたいと思うよ 本当は全部嫌になったりやめたいなって思ったりするよ でも損得勘定するとやっぱり消えてしまうのは損になっちゃうから居るしか在るしかないんだよ わかるよ 全部わかるんだけど 病んでる訳じゃないよ普通の人だし普通の少女漫画とか普通のバラエティーで笑ったり泣いたりするよ でも仕方ないよ 全部仕方ないんだよ 諦めてないよ まだ諦めてない 猜疑心でギザギザになったりする どうしようもなくて猫一匹通れるか通れないかぐらいの まあ通ってったから開いてるんだけど そんな扉見つめながら 私はもうどうしようもないよって言って泣いてしまうときもあるけど でもそれで終わりになんてならないの 悲しいけど 眠ればなにも怖くない 何も感じない 何も考えなくていいから本当は眠りたいなっておもうよ 青い光消したいなって思うけど ジョブズ あんたはバカだよね本当にって 今まで五万回ぐらい思ったよ でもね全部自分の蒔いた種で自分が枯らさないとずっと伸び続けるんだよね 悲しいな 悲しいなって言いながら 左目の涙ほったらかしてずっと見上げてるよ ああまたこんなに伸びちゃったねすくすく育ってわなって思いながら黙って見上げてるよ あ、お水あげないととか考えていっぱい水あげちゃうからさそりゃおわんないよね エンドレスすくすくすこやかだあってさよならしたくないから恋しくなるの 見上げる髑髏にキスしたいよ わかんないかな わかんないよ

 

 

何もわかんない

 

 

タピオカの為に何十分も並ぶのも、デートのために何十分もかけて服選ぶのも、カップ麺の為に3分待つのも同じやん

 

 

って思う

 

 

 

何の為に生きて、何の為に働いて、何の為に勉強なんてしてんのか分からなくなる時がたまにある

 

 

 

欲しいものを買う為にお金を稼ぐ、欲しいものを買う、手に入れる、使う、なくなる

 

 

 

欲求を満たす

 

 

欲しい人がいる、欲しい人を手に入れる為に努力をする、手に入れる、愛する、別れる

 

 

欲求を満たす

 

 

欲求を満たした後に喪失感でいっぱいになる

 

 

 

そしてまた新しい欲求を満たす為に同じ事を繰り返して繰り返して繰り返して時間が過ぎる

 

 

文字にしてみると分かりやすい程「人生は死ぬまでの暇つぶし」と言われる理由が分かる

 

 

iPhoneがいつまでアップデートされ続けるか分からないけど、永遠にAppleが消えない保証なんてどこにもないし、消えなかったら逆に気持ち悪いとも思う

 

 

265年も続いた江戸時代はとっくの昔に始まって終わったし、31年続いた平成もこの前終わった

 

 

31年ですら長く感じた(内22年しか生きていない)のに265年でも教科書の見開きで見れば小指の爪ぐらいのサイズなんだよね

 

 

1976年に創業したAppleは来年で44年目になる

 

 

江戸時代分丸々叩くにはこの6倍以上引き継がれないといけないんだよ

 

 

絶対無理やん

 

 

でも今のところ誰もこの左手の中のiPhoneが無くなる日が来るなんて思ってないよね、私も思ってないし

 

 

あ〜〜愚か〜〜

 

 

まあ、これはあくまで例え話なので

 

 

左目だけからダラダラ流れ続ける涙が止まらないのでもうブルーライト消すよ

 

 

傷は舐めときゃ治る、らしいから

 

 

確かめないと 治る前にね

 

 

 

人生の折れ線グラフを作った時、きっと多くの人の線は進学・交際・離別・結婚・就職・出産辺りで向いて折れ曲がる

 

 

生きれば生きるほど無価値なものに成り下がる感覚というのは誰かに共感してもらえるようなものなのかなあと平常心のままで疑問を抱く

 

 

誕生がピークで、そこからはずっと緩やかに下がり続けているような気がする

 

 

緩やかに、怒肩の人の右肩を形どったみたいにほぼ真っ直ぐにでも確実に下に向かって線が伸びて、右腕に堕ちる時が80年目やそこらにあたる

 

 

代替品のない消耗品というようなイメージで、オーダーメイドの冷蔵庫のように、徐々に徐々に気付かないうちにどこかがおかしくなっていって、そして電気が消える

 

 

電気が消えて、生物が腐り出して、水が温くなって、冷蔵庫はただの箱、ただの区切られた狭い空間になる

 

 

この下りをポジティブな流れに持ち込む為に出来ることってなんなんだろうって、それを考えるのが人間のオシゴトなのかもしれないなあっていう感じで、息を吸って吐くついでに頑張りたい

 

 

限りあるものの美しさと限りないものの美しさは表裏一体で、共通しているようでしていなくて、考えるのも恐ろしいようなパラドクスに苛まれる

 

 

自分じゃなくてよかった、と、なんで自分じゃないんだろう、が二つ同時に一つの思考回路に存在する後ろめたさというか何というか、安心と不満を一堂に会させてしまったことへの罪悪感というか何というか

 

 

やりたいことがあって、やろうと思えば出来そうだと思えることは大体やれば出来るのに、はじめから無理だと決めつけるのは、それはもう初めからやりたくなかったことなんだと思うし

 

 

ネガティブに思えて案外みんなポジティブだったりする、自分もそうだし

 

 

生きようかな、死のうかな、なんて考えてるうちは結局生きたいし、全部そういうことだよね

 

 

やる理由よりもやれない理由を探す方が楽だしね

 

 

一概に、諦め=終わりじゃなくて、諦め=継続のときだって同じぐらい存在するし

 

 

これはこういうものだから、みたいな固定観念は「捨てることが第一歩!すごいぞ!」てな風潮があるけど、実際はそんなことは当たり前で「捨てないほうがヤバい」のほうが真理に近い気がするなあ

 

 

まあなんでもいいんだけどね〜〜